
1959年山梨県の山村に生まれ育つ。
立正大学にて社会福祉と社会教育を学び1982年卒業。枚方市役所入職、社会教育課・津田公民館・菅原公民館等20年勤務、社会教育主事。枚方保育所保護者会会長、桜丘中学校PTA会長、枚方市職員労働組合役員を歴任。2003年市議会議員初当選。柔道弍段・相撲弐段。前常任副委員長、現総務常任委員・枚方・寝屋川消防組合議員。

富士山の麓での子ども時代、中学・高校では柔道部主将
1959(昭和34)年に山梨県大月市に生まれました。富士山の麓です。小学校4年生までは大月市で育ちました.。どんなところかというと、川に沿って村があり、家の後ろはもう山が迫っているという感じです。5年生から都留市に引越し高校生まで過ごしました。中学校は山梨県の都留市立第一中学校です。五つほどの小学校区から通っていて、遠隔地からはスクールバスが出ていました。中学校では窓から富士山がくっきり見えたのがとても印象的でした。
高校は山梨県立都留高校に入学し、ここでも中学校同様柔道部に入りました。中学校、高校と柔道部の主将でした。柔道部は相撲の大会の前になると相撲部になるので関東大会に行ったり、靖国神社の相撲大会や、青森県の十和田湖での全国大会に出場しました。
社会教育・社会福祉のフィールドワークを経験
大学に進学すると、1・2回生は埼玉県の熊谷校舎で学生寮に入り、2回生の頃、4回生まで付き合うことになる「社会教育ゼミミナール(通称:藤田ゼミ)」に入りました。この藤田ゼミで、権利としての社会教育、住民が自ら学習し自己変革し、社会の発展と自己実現をするという社会教育の本質について学びました。ゼミのフィールドワークとして、社会福祉を専攻していたこともあり東京の『町田市障害者青年学級』のスタッフを選択し、私はそこで本当にたくさんの素晴らしい仲間と出会い、いろんな経験をして自分の人生を左右する2年間を過ごしました。
有資格者として枚方市に入職、社会教育課で実務の中心に
1982(昭和57)年の2月に「大阪の枚方市が社会教育主事有資格者の採用試験をするので、うちのゼミから君が受けてもらえるかね」と言われ、初めて大阪の地を踏み、枚方市の採用試験を受験しました。私は社会教育課、他の同期3人は5月に開館する楠葉公民館に配属となりました。社会教育課では初めの頃は庶務や高齢者学級『くらわんか学園』、『菊花展』や『短歌・俳句発表会』などを担当。御殿山美術センター建設で補助金の申請を中心に担当し、牧野公民館、津田公民館と設計や建設での公民館を含む社会教育の意見を集約し建設担当と協議したり、地元説明会などを開き市民要望を聞いて調整したり、補助金の申請、備品・消耗品の購入手続きなどの建設事業全般を担当しました。そして強く希望し、津田公民館に異動となりました。
地域の人たちと素晴らしい活動創り出した津田公民館・菅原公民館
初めて社会教育の現場で働けるということでちょっとはりきりすぎましたが、公民館だよりの一万三千部発行、鯖寿司作り講習会、子ども演劇ワークショップ、東部環境問題講座等々の公民館事業を展開しました。
東部地域の2館目の公民館建設が決まり建設事業を担当し、1996(平成8)年4月に社会教育課に異動し、その年の12月に開館を前に菅原公民館に異動しました。菅原公民館ではこれまでの公民館運営の課題に挑戦するいろんな問題に取り組みました。市民参加型で個人で参加できる取り組みとして活動委員会、字幕サークルとの協働、陶芸グループや日本語・多文化共生教室『読み書き』、大人ためのピアノ講習会、青木悦さんの講演会「キレるのは17歳だけじゃない:春名ちゃん事件から見えてくる孤独ななかよし」などの子育て支援事業、男女共同参画事業、市民劇場として長谷川きよしコンサートや地元の大フィル主席奏者の協力によるクラシックコンサートなどいろんな事業を素晴らしい職員集団と市民の皆さんと取り組むことができました。

